TL;DR
- 01何が起きたか
東証グロース上場のはてなは 2026 年 4 月 20 日、経理部長が警察を名乗る詐欺グループの電話を「捜査協力」と信じ込まされ、業務用の PC にリモートデスクトップを入れた。詐欺グループは PC を遠隔操作して、2 日間で約 11 億 8,000 万円を外部の口座へ送った(同社の開示、特別調査委員会の報告書)。
- 02なぜ通ったか
送金に使った銀行の口座は、経理部長のアカウントだけで振込の作成から承認まで済み、上限額も無かった。残高が尽きると社内の資金移動で補われ、最初の 3 億円は「給与出金の準備」として担当取締役が了承し、以後は理由を示さないまま、計 9 億 4,000 万円が移された。
- 03欠けていた層
初日の夕方、銀行は担当取締役に不審な振込を照会したが、承認済みの資金移動と結びつけて読まれた。夜にかかった口座の利用制限も、詐欺グループの指示による経理部長の電話で解除され、出金が止まったのは翌日の午前である。効かなかったのは、送金と資金移動を、理由の裏付けと照合してから実行する層である。
何が起きたか
- 当事者
- はてな。ブログなどのネットのサービスと、出版社向けのマンガビューワなどを手がける。東証グロース上場。
- 起きたこと
- 4 月 20 日朝、経理部長の私用の携帯に、警察を名乗る詐欺グループから電話があった。資金洗浄の捜査で本人も疑われていると告げ、家族への口外を禁じた。ビデオ通話で警察手帳などとされるものを見せ、社長や担当取締役も捜査の対象だと告げて、以後の指示を「捜査協力」とした。
- 遠隔操作
- 10 時 39 分、経理部長は指示に従い、業務用の PC にリモートデスクトップを入れて実行した。以後、詐欺グループが PC を直接操作した。起動の記録は社内のログに残ったが、検知されなかった。未承認のアプリの実行を制限する仕組みは無かった。
- 送金
- 詐欺グループは送金用の口座で振込を作り、承認の段の 2 段階認証では経理部長を呼んで操作させた。経理部長は「凍結口座への振込で、後で戻る」と説明されていた。11 時 41 分の 9,999 万円から、翌日 10 時 22 分まで送金が続いた。
- 被害
- 外部への送金は 11 億 7,981 万円。社内の口座間の資金移動は 9 億 4,000 万円。2026 年 7 月期に、調査の費用などを含め 12 億 2,100 万円を特別損失に計上した。
- 確認役の問い
- 13 時 34 分、資金移動を確認する経理部員が、口座の残高の減りと見慣れない振込先に気づいて尋ねた。経理部長は「後ほど説明します」と答え、資金移動が先に進んだ。資金移動に裏付けを求めるルールは無かった。
- 情報
- 個人情報や顧客情報が持ち出された形跡は確認されていない。ただし、遠隔操作の間に画面を見られた可能性は排除できないとされる。
用語メモ
リモートデスクトップ — 離れた場所から、ネットを通じて PC を操作するためのソフト。入れた PC は、相手が画面を見て、操作できるようになる。
資金移動 — 同じ会社の口座の間でお金を移すこと。はてなでは、主な口座から、給与などの支払いに使う口座へ定期的に移していた。
特別調査委員会 — 社外の弁護士などで作る調査の委員会。はてなの委員会は、日本弁護士連合会の第三者委員会のガイドラインに沿って調べた。
攻撃は次の連鎖で成立した(特別調査委員会の報告書に拠る)。
止めどころは ③ と ④。送金と資金移動を、理由の裏付けと照合してから実行していれば、PC を操作されても資金は出ない。⑤ の銀行の照会と利用制限は早くに働いたが、照会は承認済みの説明と結びつけて読まれ、制限は解除された。
4 月 20 日 8 時 2 分。私用の携帯へ。
10 時 39 分。以後、詐欺グループが PC を操作する。
1 人のアカウントで作成から承認まで済み、上限額も無かった。
最初の 3 億円は「給与出金の準備」として担当取締役が了承。以後 6 回は理由を示さずに続き、計 9 億 4,000 万円。
照会は 20 日。夜の利用制限は電話で解除された。翌朝の振込は出金停止で失敗。
時系列 — 公表と対応
- 8 時 2 分、詐欺グループから経理部長に電話。10 時 39 分、リモートデスクトップを入れる。11 時 41 分、最初の不正送金。13 時 13 分、担当取締役が社内チャットで資金移動を承認する。16 時台、銀行が担当取締役に、9,999 万円の不審な振込が 3 回あったと連絡する。夜も資金移動と送金が続き、19 時 52 分には、詐欺グループの指示で経理部長が銀行に電話し、口座の利用制限が解除される。
- 10 時台に資金移動と送金が続く。10 時 53 分の振込が、銀行の出金停止で失敗する。11 時 8 分、経理部長が詐欺に気づき 110 番する。
- はてなが資金流出を開示する(被害は最大約 11 億円)。
- 特別調査委員会の設置を開示する。
- 11 億 7,900 万円を特別損失に計上し、通期の最終損益を赤字の見通しに修正する。
- 特別調査委員会の調査報告書(開示版)を公表する。
- 再発防止策を開示する。
本件の事実は、はてなの開示と、特別調査委員会の調査報告書(開示版。いずれも一次)に拠る。報告書は、経理部長の聞き取りと、PC・通話・チャットの記録から経過を組み立てている。
公表後の対応
- はてな: 口座間の資金移動のルールを明確にし、ワークフローでの事前の多段階の承認と、根拠の資料の確認を義務づけた。オンラインバンキングで、振込の申請と承認の権限を同じ人に持たせず、承認できる環境を厳しく限り、アカウントごとの限度額を最小にし、入出金の自動の通知を使う。リモートデスクトップを制限し、警察を名乗る手口などの研修を続ける。役員報酬の一部を自主返上した。
- 特別調査委員会が挙げた原因: 経理部長が「捜査協力」を優先して社内のルールを守らなかったことに加え、オンラインバンキングで振込の作成から承認まで 1 人でできる設定(経理規程と食い違っていた)、承認の上限額の未設定、権限の棚卸しの欠如、入出金の通知の未契約、資金移動に根拠の書類が要らなかったこと、経理体制の属人化を挙げた。送金用の口座で振込を 1 人で完結させない設定さえあれば、被害は防げたとしている。
なぜ止まらなかったか
この事案の失敗は、電話の見分けだけの問題ではない。送金も社内の資金移動も、依頼の文面だけで実行でき、理由の裏付けと照合する層が無かったことにある。
最初の資金移動は「給与出金の準備」として了承され、以後は理由を示さないまま、作成・確認・承認の手を経て続いた。確認役は異常に気づいて尋ねたが、裏付けを求めるルールは無く、手続きは先へ進んだ。
ここでいう証明は、送金と資金移動を実行する前に「この依頼には、照合できる理由の裏付けがあるか」を、依頼した人とは別の手段で照合し、記録に残すこと。検出は、異常な入出金に気づくこと。
外部の口座へ
銀行の照会と利用制限は早くに働いたが、出金が止まるまでに約 23 時間かかった。確認役が異常に気づいて尋ねても、裏付けを求めるルールが無ければ、手続きは「後で説明する」で先へ進み、承認の手が何段あっても装われた依頼は通る。この隔たりが検出と証明の落差であり、構造的な欠落である。
同じ構造は、香港のディープフェイク会議詐欺(装われた CFO の指示で、財務担当者が 15 回送金した)にも現れている。
対策するには
送金も社内の資金移動も、理由の裏付けと照合できたものだけを実行する。照合は、依頼した人とは別の手段で、依頼の文面ではなく裏付け(請求書、給与の支払いの予定など)に対して行う。そうすれば、担当者がだまされたり PC を操作されたりしても、裏付けの無い送金は出ない。検出の代わりではなく、検出の手前に置く層である。
注意したい業界・業務
- 業界メディア・ネットのサービス
- 経理の人数が少なく、経理の責任者に権限が集まりやすい中堅の上場会社。
- 業務承認・決裁
- 社内チャットでの依頼で行う、口座間の資金移動と送金の承認。
- 業務アカウント・権限の管理
- オンラインバンキングのアカウントごとの権限と限度額、その棚卸し。
いまの対策で防げるか
| 対策 | 今回 | 理由 |
|---|---|---|
| 作成・確認・承認の分担 | 一部 | 資金移動は作成・確認・承認の手を経た。確認役は異常に気づいて尋ねたが、裏付けを求めるルールは無かった。 |
| オンラインバンキングの 2 段階認証 | 一部 | だまされた本人が認証を操作した。本人の操作は、認証を通る。 |
| 社内のログの監視 | 一部 | リモートデスクトップの起動は記録されたが、検知されなかった。 |
| 銀行の不正の検知 | 一部 | 初日に照会し、夜に利用制限をかけ、翌日に出金を止めた。照会は承認済みの説明と結びつけて読まれ、制限は解除された。 |
- 送金と資金移動に、照合できる裏付けを求める。請求書や支払いの予定など、依頼の文面とは別の根拠と照合する。
- 照合できない送金と資金移動は、実行できないようにする。 1 人のアカウントで作成から承認まで済む設定をなくし、限度額を置く。
- どの依頼を、何と照合して実行したかを残す。銀行から照会があったときは、その記録と口座の明細で答える。記録は証明として残す。
送金と資金移動について、組織で確認する 3 項目
- オンラインバンキングで、振込の作成と承認を 1 人のアカウントだけで済ませられる設定になっていないか。
- 社内の口座間の資金移動に、理由の裏付けを求めているか。
- 銀行から入出金の照会があったとき、口座の明細を直接見て照合する手順があるか。
注:裏付けの書類そのものが偽られた場合は、この照合を通りうる。また、照合は資金の出口を守るもので、業務用の PC を遠隔操作されることは、アプリの制限などで別に防ぐ必要がある。
Sources
- 一次・開示はてな「資金流出事案の発生に関するお知らせ」
- 一次・開示はてな「特別調査委員会設置に関するお知らせ」
- 一次・開示はてな「特別損失及び繰延税金資産の計上、並びに通期業績予想の修正に関するお知らせ」
- 一次・開示、特別調査委員会の調査報告書〈開示版〉を添付はてな「調査報告書の公表及び役員報酬の一部自主返上に関するお知らせ」
- 一次・開示はてな「再発防止策の策定に関するお知らせ」
- 一次・開示はてな「2026 年7月期通期業績予想と実績値との差異、株主優待引当金繰入額及び特別損失の計上並びに繰延税金資産の取り崩しに関するお知らせ」